2012年2月28日火曜日

2月のおべんとう。


京北ではふきのとうが
顔を出し、市内ではよもぎが
顔を出しています。
春がそこまできています。

◇◆2月のお山べんとう◆◇

・赤米ごはん
・粕汁
・きくいもとよもぎのかき揚げ
・ふろふき大根、ふき味噌添え
・小豆南瓜
・ピーナツ味噌
・ひじきのたいたん
・からし菜の胡麻和え
(おまけ)
・鹿ロースの焼肉

◇◆2月のお山べんとう、次の日◆◇

・梅ゴボーフライの巻き寿司
・おいなりさん
・きくいもとゴボーのかき揚げ
・粉ふきいものふき味噌和え
・オイル蒸し野菜
・ピーナツ味噌
・ひじきのたいたん
・よもぎのお味噌汁

2012年2月26日日曜日

ウインナー。



いのししの腸を洗う。
洗いながら、動物のカラダって、
単純やけど、丈夫にできているのだと
ふむふむ。
(食べ物らしきものが、コロコロになって、
う○こになっていく様を、まじまじと見た。
わー、これは、カラダに負担かけたらあかん!
と思った。何食べても、この状態にしてくれるんやね。

腸の中身を出して、
針金でひっくり返して、
もっとキレイに洗う。
この作業が、意外とたのしい。
(ちょうど、鼻がつまっていたので助かった)

4・5年前に、事故にあったアナグマを
じゃんさんが、ぶらーんともって帰ってきて、
命を頂戴した。(アナグマカレーになった)
その時も、腸詰ウインナーに挑戦。
腸詰まではなんとかできたけど、
沸騰したお湯にいきなりいれたら、、破裂した。

今回、本で調べると、65度のお湯に10分。
70度に30分と書いていた。
なるほど~。アナグマの時は、沸騰にしたお湯に
いきなりいれたから、破けたんやとやっとわかった。

いのししの腸に、いのししのお肉を
つめながら、イロンナ意味で感無量になった。
こんな暮らしをできていて、
こんな人たちに囲まれていて・・・。

アコガレのウインナーサンド。
ウインナー、黒い!

2012年2月24日金曜日

コドモ

毎日、コドモとともに過ごす。
当たり前のしあわせに、
夜、布団に入るときに気づく。

コドモって、なんでアンパンマンが好きなのやろ。
好きすぎる!
商店街のパン屋さんには、
一番下の段に、でったい、
アンパンマンの顔のパンが売っている。
いとは、それを、さわるんやねー。
うまいことできてるわーと思いながら、レジに。。

というわけで、
アンパンマンパンに挑戦。
まだまだ、こんな子供だましで
喜んでくれて、助かります。

といっても、まん丸アンパンマンは、
これ何?って聞いても、・・・・?でした。
目をレーズンにしたら、
思いの外ふくらんで、口も一文字やし~。

2012年2月22日水曜日

ART OF LIFE

暮らしの中に、アートはあるんだ。
畑に、
料理に、
歌に踊りに
誰だって、好きなように創造できるんだ。

仕事は遊びであり、
遊びは仕事である。

みんなに奴隷のような暮らしをしてほしくない。
好きなことをして、
太陽や風を感じて、
大地をふみしめて。

歩くということは巡礼そのもの。
目的はない。なくていい。
自然の中を、ただ歩くだけ。

愛とは、
恐怖や不安から開放された状態。
愛されているから愛するのは容易い。
愛されてなくても愛するのだ。

幸せとは、
自分が満ち足りている状態。

家族を失って、悲しい。
悲しいというキモチは、
「所有欲」(やったかな?自分のモノと思う気持ち)
からくる。自分のモノを失ったから悲しむんだ。
大切な人は旅立っても、魂はここにある。
ずっと一緒にある。

地球温暖化やさまざまな問題があって、
わたしには何が出来ますか?という質問をよく
受けるが、わたしはこう答える。
「今日から、あなたの食事を変えなさい」
今は、世界中の食べ物を手に入れることができる。
でも、それには多くの負荷がかかり、とても不自然。
あなたの今日の食卓を変えることから、
世界を変えることができる。
地元のものを選んだり、オーガニックのものを選んだり。

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サティシュ・クマールさんのお話会。
いってきました。
ほんとうに、お会いできてよかったです。
自分のココロにどんどん沁み込んでいって、
自分を恥ずかしくなると同時に、
そうなんやな~、と納得。
でも、、そうやけど、、むむむ・・・と、
今までの自分と今の自分が
行ったり来たりしています。
(ココロがしずんだり、あがったり。)

でも、すべてのことが、
当たり前になっていたこのごろ。
(家族の存在も、今ある暮らしも、なにもかも。)
すべてのことが、本当に有り難くって、
一瞬一瞬が幸せで、
今は今しかない、
ほんとうに、ありがとう。
そう、胸の中があつくなっています。

5回目の来日だと仰っていた。
ほんとうに、お会いできて光栄でした。

お話会、いってきました。

「サティシュ・クマール with  辻信一 今、ここにある未来」
上映会+講演会――3・11後の大転換を考える――行ってきました。
こういった講演会に行って、これほど内容のすべてに意見の相違がなかったことも珍しい。
腑に落ちないという箇所も、少しの違和感を感じるところもなかった。

サティシュの言葉は、まったくシンプルだった。ゆえに誰にでもわかりやすく、そしておどろくほど明確だった。決して難しい言葉や、抽象的で難解な言い回しはしない。本当にシンプルなフレーズで、物事の本質を明らかにしてくれる。
それはとても誠意的で、聞く人を励ます、降り注ぐような力を伴っていた。

質問時間でも、会場はなにか日溜まりのようだった。質問者の、感想とも、意見とも、質問ともわからない思い思いの、自分自身の言葉によって伝えられた問いに対しても同様だった。会場のお客さんもみんなそれを楽しむように、あたたかく見守っていた。貴重なサティシュとの対話の時間に身を委ねていた。こんな風に未来も決められたらいいと思った。いや、将来の議会はこんな風なのかも知れない。

3.11以降、エネルギーのことが話題になっている。サティシュは言った。みんなエネルギーと言えば石油とか、電気、原発のことを思い浮かべる。しかし本当のエネルギーとは、太陽と水や空気や土やそれらが育むもの、風や波といった太陽の放射エネルギーが変化したもの、そして人間自身とすべての植物と動物のことだと。それらは無限のもので、また無償で与えられているものだと。

また、歩くことは巡礼だと言った。目的もなく歩くことが巡礼だと。歩きながら、景色を見、音を聞き、においを感じることが人生の目的なんだ、結果はなく、すべてはプロセスしか存在しないじゃないかと。現代社会は目的と結果を数量化し、ありもしない不安をねつ造して背負わせてしまった。その結果がニューヨークやロンドン、東京のような大都市だ。この会場には窓が一つもない。この建物の設計者は太陽を取り入れる代わりに、石油や電気を使うことのほうがすばらしいと考えた。都会は自慢する、「どうだすごいだろう!人間はこんなに電気や石油を使っているぞ!」と。

今、自分たちに求められているのは、この苦難をチャンスととらえることだ。これは転換期なんだと。すべての命が終わるように、物質文明もいずれ終わりを迎える。この経済システムが破綻しても本当は困らない。自然の経済は無限だ。若い設計者はこの間違った古いシステムを新しくデザインしなおすべきだと。主人は人間で、システムは召使いのようなものだ。システムが人間を強制するなんてとんでもない。

アートは特別な才能ではない。すべての人が特別なアーティストだ。生活そのものがアートだ。そしてこの会場にいるすべての人に偉大なリーダーの素質が宿っている。この社会を変えるのはそこにいるあなただ。ではどうすればいいか?それは生活を変えることだ。あなた自身が望むべき世界を望むように実行すればいい。そしてそれを仲間に伝えるのだ。ガンジーもそうやって始めた。それは光となって人々をつないでいくだろう。そしてそれは大きな流れとなり、偉大なリーダーとなっていったのだ。
望まないことをやめ、望むことをすることだ。

・・・

(じゃん)

2012年2月21日火曜日

時間は永遠なのに、そして人間の手も永遠なのに。

今日!なのですが、
ぜひお会いしてみたい、
いってみたいお話会があります。

「サティシュ・クマール with  辻信一 今、ここにある未来」
上映会+講演会 in 京都
――3・11後の大転換を考える――

18時から21時。
場所は京都駅アバンティー9階。

ここからは、サティシュ・クマールさんの
HPより転載です。
(勝手に転載します。すみません。
でも、多くの人に知ってほしいので。)

自然は無限であると思い、人の手には限界があると思って、労働の節約を目指した。そして、機械が登場し、廃棄物が生じるようになった。手作りは廃れ、破滅に向かっている。手業が衰退している。

時間は永遠なのに、そして人間の手も永遠なのに、その永遠なるものを節約しようとしている。

石油は再生不可能、そのなくなるもの大量に消費している。

手仕事は、単にものを作るだけではなく、精神的な行為である。創造性のたまものである。参加する行為である。

一方、大量生産には、芸術も工芸的要素もない。美しさもなく、地球を破壊している。

化石燃料、ピークオイルに直面している。
危機ではあるが、危機の機は機会の機、つまり危機はチャンスでもある。私たちが目覚めるチャンスと言えよう。

大きくて速いのが良いという価値観が大勢である。手作りは遅れたこと、大変なこと、貧乏になることというイメージがある。エコで持続可能というのは困難なこと、という恐怖もある。だから、技術革新によって危機を乗り越えるしかないと、思いこませようとしている。
これに対して、私は今よりももっと良い生き方があるという提案をしたい。簡素であるけれども、エレガント、芸術、工芸、幸福がそこにはある。

産業界は、お金をもうけるという動機で動いている。
手仕事は、精神的営みであり、愛を込めた仕事となる。
だから私は、雇用よりも生業を求める生き方が大切だと思う。雇用だと、雇い主に命じられて働くが、生業であれば、自分の好きなように時間が使え、自分が主人公となれる。

プロセスが大切である。良い結果をもたらすことが目的ではない。正しい生き方だから、このように生きるのだと捉えることが大切だ。

SOULを耕すこと、友情、親切、美、寛容。名声を得たいというエゴを抑え、美や寛容に至るソウルを高めていくことだ。
もちろん、エゴが全く要らないというわけではない。しかし、必要なのは短期間だけだ。それは、種の殻と同様である。種に殻がないと種として存在できないが、いつまでも殻がついたままだと芽を出すことができない。種は土に蒔かれたら、殻を捨て土と一体となって行かねばならない。
人間も同様である。人間は他との関係の中で生きる存在であるが、エゴは我々を他から切り離す。であるから、ある時期が来たらエゴから離れることが必要だ。エゴから離れることが、自由を得ることであり、悟りである。

思いやりの心
温泉の施設は残念だった。水飲み場もなかった。日本の伝統的建造物の歴史に学び、伝統的建て方が存続することを希望する。温泉施設を設計した人には、何のためにこのような施設を建てたのかを聞きたい。利益を得るためだろうか。しかし、人々や大地に奉仕するということが、利益の追求よりも先に来なければならない。
もし、無知からこのような施設を建てたのであれば、教えてあげればよい。また、利益の追求であるならば、それに対して挑戦していくことが必要だ。そして、商業主義的ではない、本物の建物を私たちの方で建てればよい。

怒りはいらない。
必要なのはコミュニケーションである。非暴力的なコミュニケーションの手法を向上させることだ。心にふれる、届く言葉掛けである。どのようなかたくなな心にも、どこかに柔らかい場所がある。その柔らかなスポットを探すことだ。建物にはいるのに、固い壁をうち破ってはいることはできなくても、ドアや窓からなら入れる。同様にその人にとっての、ドアや窓を探すのである。
さらには、結果にとらわれないことだ。成功することにとらわれてはいけない。働きかけることができた。それだけで十分である。
悪いものを壊すよりも、本物である、別のものを作って提供することだ。

太陽や雨は、我々に多くの恵みをもたらすが、我々は太陽や雨に対して、何もお返しをしていない。何の見返りも期待せずに、太陽は日々我々を照らしてくれている。
だから、我々もエゴを手放して、謙遜を学ぶことだ。・・・お陰様・・

「我思う故に我あり」には、関係性というものが存在しない。
仏陀は、屋外で、木の根本で、この世の現実、つまり、依存しあっている、So Hun、「君あり故に我あり」という悟りに達した。

忍耐
まず、聞くことである。そして友情を培ってから、語るのがよい。

断食
自己犠牲の行為。かたくなな人にその姿を見せることで、相手が恥じ入り、哀れみの気持ちが生じてくる。
正しいことだからやっている。成功するためにやっているのではない。
相手を変えるのではなく、コミュニケーションを図る。

ガンジーは、簡素な生活:糸車と農業という生活を集団で行ってきた。長期間の訓練を経ての非暴力の実践。
非暴力は、生き方である。良い暮らしという暮らしを実践すること。テクニックではなく、生き方である。結果ではなく、日々のプロセスである。

雇用よりも生業について
自分が人生の主人公となること。そのように挑戦してみること。自分自身を信じること。そのような生き方はリスクを伴うが、ドアを探すこと。完全を目指さないで、方向性を考えるのがよい。私が仕事のために存在するのではなく、仕事が私のためにあるとなったときに、よろこびを味わえる。

間に合わないのではないか?
時間がなくなりつつあるのは、工業文明の方である。工業文明は生き延びることができない。工業文明の崩壊をおそれる必要はない。ライフボート(救命ボート)を作って、用意しておけばよい。
危機に対してパニックに陥るとすれば、それは恐れに突き動かされているからだ。これでは、みんなバラバラだし、弱い。むしろ、地球・自然・人々を愛する気持ちを動機にすると良い。
シャロームのような場で、1万人の人々に訓練を施すことができれば、大きな力となるだろう。
我々の時が近づいている。準備をしよう。

対立するのではなく、包み込むプロセスだ。

自然から学ぶこと。自然に敬意を払い、好奇心を持つ。自然の神秘にふれると人は謙遜になる。ところが、自然について学ぶ姿勢だと、自然を人間のために利用する方向に進む。スモールスクールは、11歳~16歳。自然の中に出かけている。菜園、パンを焼き、料理をする。子どもは、その中に知識をどんどん詰め込むための空っぽのかごではない。徐々に開かれていく種子である。もの作りを通して、生きていく準備をするのが学校である。就職の準備をするのが学校ではない。
百姓とは、百の仕事をする人。すばらしいと思う。
人の身の丈にあった教育が大切である。

今ここを生きる
結果にとらわれるとすれば、それは今ここを生きていないからだ。今ここが空白になっているからだ。だから、常に、自分は今ここを生きているだろうかということに意識を向けることが必要になってくる。
今、種を蒔いている。ならば、あとは大地を信頼するしかない。信頼がポイントだ。
正しいことをやったのであるならば、結果がどうなろうとも良いではないか。
怒りは、恐怖から生まれる。そして恐怖は支配欲の結果である。支配したいと思うから、支配できないのではないか、思い通りに行かないのではないかという恐れが生まれ、思い通りに行かないことに対する怒りが生じるのである。だから、支配したいという欲望をあきらめることが必要だ。支配するのではなく、プロセスに参加するという姿勢を持つことだ。
怒りがあるなら、自分が今怒りを抱いていることにまず気づくことだ。そして、気づいたなら、その場から抜け出すことだ。散歩に出かけても良い。
怒りは、相手ではなく、自分自身を傷つける。だから怒りをもっと肯定的な情熱、親切心に換えていくことが必要だ。

スモールスクールでは、家の設計、修理を教えている。設計や建てることに参加することを重視している。家が均一化していることは問題である。また、利用しきれていないことも残念である。例えば、日本家屋では、朝起きて布団をたためば、そこが居間になる。一部屋がいろいろな使われ方をしてきた。ところが、今はベッドルームは夜寝るときだけ使って、居間は昼間だけ、しかも家人が留守の間は使われない。せっかく建てた家、多くの建材が使われているのに、こういう使い方は非常にもったいない。

フードマイレージということが言われるが、建材についてもマイレージを考える必要がある。地元で手に入るもので、家を建てるのがよい。

私は今の家に30年住んでいる。今後引っ越したいとは思わない。そこで菜園をしているし、友人もいる。そこに根を下ろしており、そこに所属感がある。旅行するのはかまわないが、戻ってくる。定住すると決めた場所に長く住むことが大切だ。

ソフトランディングが可能か。
ドライバーに知恵がある場合には、可能だが、現状は、目をつむって、コースを変えない状況だ。アドバイスを聞こうとしない。墜落・破滅を避けることはできないだろう。だから、別の生き方を構築していくことがよい。そのためには、栽培や建造さらにそれをいかに補修していくかの技術を身につけていくことだ。技術があれば、破滅が訪れたときでも生き延びることができる。
同時に、リーダーたちに我々の言葉に耳を傾けてくれと、圧力をかけていくことも必要だ。そうしながら、別の生き方を構築していくのである。

内なる平安と外部の平和はつながっている。すべてはつながっている。
心の中が平和でないと、心の中のものが、言葉や態度になって外側に出てくる。
心の中が平和でないと言うのは、支配したいという気持ちを持っているからだ。

一人一人が小宇宙である。
全世界が、一つの砂粒の中に存在している。
無限は手のひらの上にあり、永遠は1時間の中にある。
自分が、神・宇宙・聖なることを認める=平安である、平和を自分の中に作る。
地球は、大気、土、火、水、想像力、創造性でできている。すべて一人の中にある。
このような自分の存在を過小評価するのが劣等感であり、その反対がエゴ。
これらは、自分自身に対して戦争を仕掛けるようなもの。
エゴや劣等感を乗り越えるときに、つまり、私はすべてだと気づくときに、私は本来の私になることができる。
心に葛藤があるときは、シャンティーを3回唱えると良い。自分との平和。宇宙との平和。社会との平和である。

ヒンズー教徒として、でかければイスラム教徒に出会っただろう。人間としてでかければ人間に出会う。


真実よりも非暴力の方が重要である。真実はたくさんある。どれも正しい。そういう立場で非暴力のやり方で主張することだ。なぜなら、暴力的な言葉は暴力的な行動につながる。非暴力は生き方である。ガンジーもアシュラムで、非暴力の生き方を人々とともに実践していた。だから、あのような働きができた。

世界中の国で憲法9条を取り入れると良い。各国でそのような働きかけをしていくことで、日本に対しても、憲法9条を守るべきだという圧力を与えることができる。

恐怖から自由になること。

種はギフト:インドの言葉では、種という言葉と贈り物という言葉は同じ言葉である。

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こちらのHPより、転載しました。

ありがとうございます。





2012年2月11日土曜日

狩猟、しゅうりょう~。



今シーズンの狩猟も無事、
おわりました。

山に入って、
罠を仕掛けて。
かかっていたら、おいのち頂戴。

動物も命がけなら、
人間も命がけ。

わたしとコドモは家で待つだけだけど、
車の音がしたら、
「じゃんちゃん!」っとはちきれそうな笑顔になる
コドモと一緒に、今日も無事でよかったなーと
胸をなでおろすのでした。

えものがかかってなくてよかったな~。
(かかりすぎて、てんてこまい!
いそがしいときに限って、2頭もかかる!)
えものがかかった!おめでとう~。

お肉に囲まれた数カ月でした。

いのししは、本来、秋に、木の実やらをたらふく食べて、
たくさんの脂肪をつけ、その脂肪をバッテリーとし、
そのエネルギーを夏まで少しづつ使うらしい。
でも、
京北はほとんど杉山。
木の実や食べるものがなく、河川敷のくずの根っこまで
食べている、イノシシ。
去年のイノシシは、脂がほとんどなく、やせこけていた。


が!!
今年は、京北イチのイノシシが罠にかかった!
(西表島で狩猟をしていた友だちが、
このイノシシは、西表級だと絶賛。
西表は木の実が豊富で、脂ののったイノシシが
たくさんいるんだって。というより、本来は
脂ののってるのが普通。京北のイノシシは、
冬が越せないんじゃないかな~。)

脂が甘いー。

いとは、ニクが好き。
志ぐれ煮を作ろうと、
鍋に山盛りの骨を持ってあらわれたら、
「おいしそー」
え?真っ赤でっせ。。
茹で上がった骨をこそいでたら、、、
骨を手に持ち、まるかぶり。
「おいしい?」と聞くと、
「おいちー!」

おいちーお肉、販売してます。
よかったら、どうぞ。

2012年2月5日日曜日

立春のあさ。


今日は、水道は凍ってないものの、
フシギな逆向きのつららが
台所でおでむかえ。

立春のあさ。
そろそろ、春の予感??
でも、感覚的にはやっと冬がやってきた、そんな感じ。

脱水かけっぱなしで寝てしまった、
おしめが、カチンコチンーー。

2012年2月4日土曜日

オニは外~。




かわいすぎて、
鬼のお面みても、こわがりません~。
わらって、かぶれかぶれとゆってくる。
じゃんさんは、パタリロやとゆうし。

節分。
明日から春がやってくる!
節分の朝は家中が冷凍庫。
いろいろ、凍ってます。
水道からはじまり、人参まで。。。


今年も、健康で、わくわく
暮らしていけますように!

2012年2月2日木曜日

京都市長選挙は、2月5日(日)

じゃんさんが、900票。
むーさんが、800票。
100票差でむーさんが負けた。

100票かー、大差やったなー。

でも、もし、むーさんがじゃんさんから51票
奪えたとすると・・・。

じゃんさん、849票。
むーさん、851票。
むーさんの勝利!
になるんちゃうの??
(わーいわい)

自分の1票がなんか、2票な気がして、
最近、寝る前に布団の中でずーっと
ぼんやりしていたら、昨日、やっと、
このことに気づいた。
むーさんはあと100票必要なんじゃなくて、
51票あったら、勝てたのだと。
(そんな単純なモンでもないですが・・・)

それやった、ちょっとがんばったら、
勝てそうな気がする。

門川大作氏。
中村和雄氏。

自分たちの暮らしは自分たちで決めれるけど、
京都市内に住む自分。
日本に住む自分。
もっと、自分たちの意見が通っても(伝わっても)
いいんじゃないの?

選挙にいこう!
自分たちで、市長を決めよう!
自分たちで、暮らしを決めよう!